2009年06月19日

多結晶コランダム塊の製造法

コランダムは硬いので、研磨材に使われる。また、耐火性が高いので、耐火物の原料にも使われる。天然のあるいは人造の単結晶のコランダムを粉砕しても、これらの目的に使えるが、高コストになる。そこで、mm単位以下の結晶からなる多結晶コランダムの塊が生産される。2大別できる。

白色電融アルミナ [編集]
ボーキサイトを原料にバイヤー法で作ったバイヤーアルミナも、結晶構造は図2のコランダムだが、小麦粉のように細かい粉で、その粉1粒も10µm単位の微細な結晶の集まりで、研磨材には頼りない。

雪は「かき氷」には頼りないから、一度融かして水にし、冷凍庫で氷にすればよいのと同じに、バイヤーアルミナを一度融かして固めればよい。融点2050℃のアルミナは図3のアーク炉で融かす。
ボディビルディング
芸術
原子力工学
グラフィックデザイン
楽譜
インダストリアルデザイン
太陽系
マラソン
風水
北海道
肥満
インディアカ
核医学
ゴルフ
性行為感染症
ポリマー
デング熱
電子工学
色素性乾皮症
農業工学

垂直の3本の黒い丸棒は黒鉛電極である。電極の間に電圧をかけてアークを飛ばしてアルミナを融かすと、電極と融けたアルミナとの間にアークが飛ぶようになる。トン単位のアルミナを融かしてから冷やし、多結晶の白いアルミナの塊を作る。

褐色電融アルミナ [編集]
ボーキサイトを精製して作ったバイヤーアルミナを使わず、ボーキサイトをコークスおよび鉄屑とともにアーク炉で融解し、ボーキサイト中のシリカ、酸化鉄、酸化チタンをいくぶん還元し、冷却凝固させた褐色の塊である。

原料に鉄屑を加えるのは、いくぶんの還元により生成する鉄-ケイ素合金の密度を上げて沈みやすくし、また、強磁性の組成にして、後の工程で磁力選別を可能にするためである。

白色溶融アルミナよりもアルミナ分は低く、黒褐色、不透明である。

用途 [編集]
天然から産出するコランダムのうち、美しいものは、磨いて、宝石、貴石に使われる。

人造の単結晶のコランダムは、固体レーザー、精密器械の軸受、合成宝石、合成貴石などに使われる。レコードの針にも使われた。

アーク炉で作る多結晶の塊は、粉砕、精製、整粒して、研磨剤、耐火物原料などに使われる。重量で測る消費量は、これがもっとも多い。

2009年06月01日

食物と腸内微生物

食物はおもに枯死した植物で、その主成分はセルロースである。しかし、下等シロアリではセルロースを分解する能力が低く、消化管内の共生微生物(主に原生動物)の助けを得ている。一方高等シロアリでは、シロアリ自身もセルロースを分解する酵素(セルラーゼ)を持っていることが確認されている。これは遺伝子の水平伝播を示唆していると考えられている。

下等シロアリ類では消化管内にすむ共生原生動物の酵素で植物繊維のセルロースを分解し消化吸収する。共生しているのは超鞭毛虫類や多鞭毛虫類が中心で、そのほとんどはシロアリの腸内のみに生息している。熱帯で繁栄する高等シロアリ類(シロアリ科)では共生原生動物を欠き、グループにより、担子菌のキノコや細菌などと共生関係を持つ。

担子菌類と共生するキノコシロアリ類は、巣の中に菌類培養室をいくつも持っている。野外から植物遺体を採集してくると、まずそれを食い、その糞を積み上げる。共生菌がその上で成長し、糞に含まれる成分を分解する。シロアリはその塊の底から食ってゆき、また糞をその上に積み上げる。これを繰り返してゆけば、積み上げられた糞の中の成分は次第に分解され、シロアリは食ったものの中から吸収できる成分を吸収する。吸収できなかった成分は再び糞として積み上げられ、すべてが吸収できるまで循環することになる。そのため、シロアリの巣内に持ち込まれた植物遺体は二酸化炭素と水になるまで分解され、土壌形成という形で広い範囲の土地を肥やすことにはならないとも言われているが、巣の近辺には無機栄養塩が濃集することで植物の生育がよくなることが知られている。
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中国には、シロアリが銀を食べるという話が伝わっている。清代の康熙年間に呉震方が著した『嶺南雑記』には、1684年にある役所の銀倉庫で数千テールの銀が紛失したが、倉庫の隅にシロアリの巣があった以外に異常はなく、不可解に思いながらシロアリを炉に放り込んで焼き殺したところ、炉から銀が出たという話が書かれている。また、『天香楼外史』にも銀を入れていた木箱がシロアリに喰われて、銀が消えたが、シロアリを炉で焼いたら箱に入れていただけの銀が出たという話が載っている。

これらの伝承には一部誇張もあるであろうが、シロアリは食物を求めて巣から蟻道を伸張する過程で、立ちふさがる障害物はとりあえず齧って突破を試みることが知られているので、それによって銀塊が著しく損傷したことを伝えているのであろう。現代でも地下埋設された鉛管をシロアリが損傷することがよく知られている。齧りとられた銀は消化管を通じて、あるいは口でくわえて巣に持ち帰り巣材に用いられたであろうから、巣をシロアリもろとも焼けば塗り込められた銀粉が再度溶けて銀塊に戻ることもあり得る話である。

2009年04月29日

アタマン

アタマン、アタマーン(ロシア語:атаманアタマーン)は、コサック共同体で選出される指導者の称号。この称号は、14世紀頃に出現した。ウクライナ語では「отаман」(オタマーン)となる。従って、ウクライナのコサックに関してはオタマンあるいはオタマーンと書く方が適切である。

語源については諸説存在する。コサック自身の主張によれば、アラン語又はゴート・アラン語の「父」、「男性」、「勇士」から来ている。別説によれば、テュルク系言語のアタ(父)とトゥマン(1万)の合成語だとされる。テュルク語のオドマン(odoman)は、「牧夫の長老」を意味する。

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ウクライナ・コサックのザポロージャのシーチでは、シーチの中枢組織であるザポロージャのシーチのキーシュを指揮するキーシュのオタマーンが置かれていた。また、ロシア革命後のウクライナ内戦期には、ウクライナ人民共和国などウクライナ系の軍隊指揮官が「オタマーン」を名乗った。

2009年04月13日

劉 興居(りゅう こうきょ、?-紀元前177年)

劉 興居(りゅう こうきょ、?-紀元前177年)は、前漢の人。漢の皇族の劉氏で済北王となった。

略歴 [編集]
父は漢の高祖劉邦の長男である斉悼恵王劉肥であるので、劉興居は劉邦の孫に当たる。兄は斉哀王劉襄、城陽景王劉章。

呂后6年(紀元前182年)、劉興居は東牟侯に封じられた。長安に居住し、呂后8年(紀元前180年)に呂后が死亡すると兄の朱虚侯劉章と共に漢の大臣と内応し、呂氏を打倒して兄の斉王劉襄を皇帝の座に就けようとした。

呂氏が周勃や劉章らの力で打倒され、文帝を擁立することとなった際、劉興居は「呂氏を誅殺する上で私は功績がありませんので、太僕滕公(夏侯嬰)と共に宮殿を清めたいと思います」と申し出た。そこで呂后に擁立されていた少帝弘らを宮殿から連れ出し、文帝を迎え入れた。

呂氏を打倒する際、劉章の功績が大きかったので、漢の大臣たちは劉章を趙全体の王、劉興居を梁全体の王にすることを許していた。しかし、文帝は劉章、劉興居が兄の斉王を皇帝に立てようとしていたことを知ると、その恩賞を与えず、文帝前2年(紀元前178年)に劉章を斉王の国から分割した城陽王、劉興居を同じく済北王に封建するにとどめた。そのため、劉章、劉興居は職を失い功績を奪われたと思った。

その一年余りの後、城陽王劉章は死亡した。その折、匈奴が辺境に大挙して侵入したため、漢も大軍を出し、丞相灌嬰が兵を率いて匈奴を討ち、文帝も太原まで自ら出向くこととなった。劉興居は文帝自らが匈奴を討つと考え、好機と見て挙兵して漢に背いた。しかし文帝はそれを知ると兵を還して長安へ戻り、柴武を大将軍に任命して済北王劉興居を討たせた。

劉興居は撃破されて捕らえられ、自殺した。劉興居の反乱に与した者は赦免された(文帝前3年(紀元前177年)。

バース むぐら ティラミス スカーレット テキーラ 吉日 メルルー ももいし 高潔 サーチ花粋 オーラップ フロア ブイヤ マデイラ シュロ コムタン 滝の白糸 西村 ネガ トール いこて ツリフネソ ミドル マインド ビッグ ラット レックス 夾竹桃 キエフ ラクーン ブルガリ チョッパー メンデル バリウ モルガ ピュアコ バグダッド ひおき マイナ トウガラシ なんぽろ ライフボート ルミッ リアダ ステロール ジャスミン 水玉シャツ ジャンボ シプル パスボール


2009年03月29日

市松人形

市松人形(いちまつにんぎょう)とは、着せ替え人形の一種である。東人形、京人形とも呼ばれ、京阪地方では『いちまさん』の愛称で親しまれている。

桐塑または木で出来た頭と手足に胡粉(ごふん、蛤粉ともいう)を塗り、おがくずを詰め込んだ布で出来た胴につなげた人形で、裸の状態で売られ、衣装は購入者が作成する。
キネテ 紅葉の旅 菊座おり しぼり キューシ チェリー シンボル オートキプ ニース オレン よぶすま ラン タイト フォール オムレツ フーガ グマー ディム ドナルドック かみす ラビ ふじ豆 エッグ エッジボール レプラ タロッ 全国通 タウン ガーネット スイッチ デニム マハラ ロール コロンブス タスク フェーン パツ バルカン スケッチ タロー プレッピ ロッタリ メッキ しとみや スイー ロード ハドロン ゆうじょ テーベ

女児の遊び道具のほか、裁縫の練習台としても使用された。大きさは 20 cm ほどの小さいものから 80 cm を超えるものまであるが、40 cm 前後のものが一般的である。女児の人形と男児の人形とがあり、女児の人形はおかっぱ頭に植毛が施され、男児の人形は頭髪が筆で書かれている。

市松人形の名前の由来としては、顔立ちが江戸時代中期の歌舞伎役者、佐野川市松に似ていたため市松人形と名付けられたと言う説、当時「市松」と言う子供が多かったので、子供の人形と言う意味合いで市松人形と呼ばれたと言う説、市松模様の衣装を着せて売られていたため、市松人形と名付けられたと言う説がある。

江戸で「人形」と言えば市松人形を指すほどだったが、子供のおもちゃとしては壊れやすいことから、次第にセルロイド製の人形やソフトビニール製の人形に追われ、観賞用へと用途が変化していった。そのため、観賞用途で作られた市松人形には、着せ替えを行えないものもある。1927年、人形大使としてアメリカに贈られたことから、一時期、人気が出たが、おもちゃとしての復権までには至らなかった。

現在市販されている市松人形は、ひな人形の脇に置かれるものとして、頭部が石膏、体がポリウレタンで作られたものが多い。このタイプは台座に固定された立像で、着せ替えができない。座りや着せ替えができるタイプは、専門の人形作家の手によって伝統工芸品として制作・販売されている。

2009年03月14日

プロヴァンは薔薇を使った製菓業

プロヴァンは薔薇を使った製菓業の中心地である。たとえば、薔薇の花びらのジャムや、薔薇をはちみつやシロップに漬けたもの、あるいは薔薇のキャンディーなどである。プロヴァンの薔薇は、十字軍遠征に参加したシャンパーニュ伯チボー4世によってもたらされた。バラ園は今でも咲き誇っている。プロヴァンの薔薇の木は、低い茂みであることと最近の品種よりも野生の変種に近いことを特徴とするが、その控えめな外観が普及の妨げになったために、もはや地元の造園家でしか見られなくなっている。

プロヴァンはプロヴァン郡の郡庁所在地であるが、郡内最大の都市はモントロー=フォー=ヨンヌである。郡はプロヴァン小郡を含む9つの小郡に分かれ、165のコミューン(総人口約147000人)を抱えている。

プロヴァン小郡は15のコミューンから構成される人口約21000人の小郡である。

また、プロヴァン市はプロヴィノワ市町村共同体 (fr:Communauté de communes du Provinois) を構成する27の自治体のひとつである。


ゆかりのある有名人 [編集]
クロード・アトン - 16世紀のプロヴァンの主任司祭。1553年から1582年のシャンパーニュ地方の出来事を記録していた。生前刊行されることがなかったが、19世紀になって出版された。
ギ・ル・ジャンティ(1728年 - 1807年)- パロワ侯。アンシャン・レジーム期にはシャンパーニュとブリーの行政府で国王代理官を務め、フランス革命後には立憲議会のプロヴァン選出議員、次いでサン・ドマングの議員となった。
アラン・ペイルフィット - 元プロヴァン市長(1965年 - 1997年)で、アカデミー・フランセーズ会員。
エジェシップ・モロー - 『ヴルジー渓谷 (la Voulzie)』を執筆した詩人
ジャン・ルナール - 1933年生まれの作曲家。
ジュール・ヴェルヌ - 父がプロヴァン出身だった。
このほかヴィクトル・ユゴーやオノレ・ド・バルザックもプロヴァンを訪れたり、作品に登場させたりした。
ナビイサク シュレッ ながしの ステータス プロト イ短調 スプリ ジスト タープ ルテイン リストア スープ オプティ フェア マグナム プロトン メラノ プロローグ オール アップ ジボソン シュプ チャプチ レット サルコメア シアン ディア ピクチャ オムガイド インソ オーナ アマ ビルダー オペック バック らんこし ブエノス コッヘル フォー シルバー ビジホン たまごいろ パーマ ヒサカ ジャンル ハスキ アリスム 便利に生活 クロス バッファ

観光名所 [編集]
プロヴァンの景観はフランス国内では「芸術と歴史の街」(fr:Villes et Pays d'Art et d'Histoire) のひとつに選ばれており、また2001年には世界遺産にも登録された。

都市はその中世の城塞で知られている。1200メートルの距離に22の塔が幾何学的に配置されており、城塞の中心的な塔は1226年から1314年にかけて建造された。

セザールの塔 (Tour César)
12世紀に建造された。敷石の上にあり、四角い土台の上に多角柱のドンジョン(城塞の中心塔)が載っている。
サン=キリヤース教会(Collégiale Saint-Quiriace)
12世紀の教会。
サント=クロワ(聖十字)教会(Église Sainte Croix)
名前はシャンパーニュ伯チボー4世がエルサレムから本物の(イエスが架けられた)十字架の欠片を持ち帰ったとされることに由来するという。
サン=テイウル教会 (l'Église Saint-Ayoul)
11世紀に建造された教会。845年に密かに葬られた聖エイウルの墓所が1000年に発見され、その重大性を認識したシャンパーニュ伯によって建造することが決められたという。
歴史的には、初期の大市はこの教会前の広場で開催された。
コルドリエ派教会
地下道
この古都の地下には中世の地下道が張り巡らされており、訪れることが出来る。この地下道は十分の一税用の倉庫とともに、ウンベルト・エーコの『フーコーの振り子』の物語の一部の舞台となった。中世のプロヴァンは製布のさかんな都市で、この地下道は本来羊毛業のための石切り場だった。ここからは漂布土(「テル・ア・フーロン terre à foulon」)が採取され、羊毛のシミ抜きに用いられた。この粘土は石鹸のようなものとして用いられたわけだが、布によく染み込ませるために足で踏んでやる(「フーレ fouler する」)必要があったことからその名がある。
十分の一税用の倉庫 (La grange aux dîmes)
この倉庫は、かつての大市の際には在庫の収納所として使われた。現在では博物館に変わり、商人や石切工といった様々な職業の中世の生活を蘇らせた場面を提示している。
ロマネスクの家
これは10世紀ないし11世紀に建造されたプロヴァンで最も古い住居であり、現在は展示室 (le musée du provinois) がある。
ノートル・ダム・デュ・ヴァルの塔 (Tour Notre Dame Du Val)
1544年建造の塔
オステルリー・ド・ラ・クロワ・ドール (Hostellerie de la Croix D'Or)
1264年から1270年にかけて建造され、その外観を当時のまま今なお保持しているフランス最古のオステルリー(田舎の小ホテル)。2004年12月時点でもレストランとして営業を行っている。
ヴォーリュイザン・ホテル (Hôtel du Vauluisant)
13世紀の建築物。上記のオステルリーと向かい合っている。
処刑人の家
町の城壁の外に処刑人小路と呼ばれる路地と処刑人ルイーシルーシャルルマーニュ・サンソンの家がある。

2009年02月25日

とむらいの鐘(トーテン・グロッケ)

古く強大な“紅世の王”、“棺の織手”アシズを中心に組織され、16世紀初頭(先代『炎髪灼眼の討ち手』の時代)に『大戦』の結果消失した当時最大級の“紅世の徒”の集団。理由は“徒”によって異なるが、フレイムヘイズとの戦闘を前提に置く戦闘軍団。ヨーロッパのブロッケン山に要塞を築き、拠点としていた。[とむらいの鐘(トーテン・グロッケ)]の名は、世に新しい理を作る際に、古い理に対してとむらいの鐘を送るという意味を持つ。

16世紀初頭に、”棺の織手”アシズが『壮挙』と呼ぶ『両界の嗣子』の形成を実行するため、大戦の5日前には『壮挙』を為すために必要不可欠な宝具である『小夜啼鳥(ナハティガル)』の争奪戦を、その18年前には都市オストローデで戦いを、フレイムヘイズや敵対する“紅世の徒”との間で起こしている。なお、争奪戦では『小夜啼鳥』を奪取し、都市オストローデでは秘法『都喰らい』を発動させ、勝利を収めている。

彼らの『都喰らい』及び『壮挙』は、これを阻止すべく多数のフレイムヘイズを生み出し、さらに本来一人一党の討ち手達が、フレイムヘイズ兵団と呼べるまでの集団となる原因となった。特に後者の時期に「乱造」されたフレイムヘイズは、「ゾフィーの子供たち」と俗称される。

ブロッケン山、オストローデともに同名の土地が現ドイツ中部に実在する。「ゾフィーの子供たち」にゲルマン系の姓名が多いのは、同地方の出身者が多いからと思われる(物語のオストローデ市は都市ごと“存在の力”を喰われたので、人間同様「最初から存在しなかった事」となる筈であり、現在のオストローデ市と同一ではない可能性がある)。

“棺の織手”アシズ(ひつぎのおりて)[Asiz]
“紅世の王”。炎の色は青。仮面をつけた蒼い天使の姿をしている。『清なる棺』という、ある意味封絶に似た周囲の因果から閉鎖された強力な凝固空間を作り出す能力を使える。かつて『鍵の糸』という仕掛けを使い『都喰らい』を行い、都市丸ごとの“存在の力”を得て自身を強大な存在にした、当時の乱獲者の中では最強の“王”であった。また、その“存在の力”を『九垓天秤』にも分け与え、強化していた。
元々は最古のフレイムヘイズの一人として活動していた“王”で、世界のバランスを守るという使命に燃える優れた自在師であり、契約者の『棺の織手』ティスと共に“徒”の組織をいくつも壊滅させた英雄だったが、契約者であった少女ティスの死に際に彼女への愛情に気づき、彼女の喪失を恐れて自身の能力である『清なる棺』を発動させ亡骸の崩壊を防ぎ、周りの人間を無数喰らい“存在の力”を得たと同時に自身を強引にこの世に再召喚、この世を跋扈する“徒”の様に顕現する事に成功する。彼がティスの死後に真名として名乗っている“棺の織手”とは彼と契約していたフレイムヘイズの称号であり、彼自身の本当の真名は“冥奥の環(めいおうのかん)”である。
ティスを蘇らせるためのすべを探してフレイムヘイズと敵対しながら世界を旅するうち、『九垓天秤』と呼ばれる強大な力を持つ九人の“王”を従え、中世最大級の“紅世の徒”の集団、[とむらいの鐘(トーテングロッケ)]を組織するまでに至る。
ティスを蘇らせることは叶わなかったが、ティスの最後の願いを叶える為に、存在の『分解』と『定着』の自在式(『大命詩篇』の断篇)を刻んだ金属板と宝具『小夜啼鳥(ナハティガル)』の力を用い、自身と愛するティスの存在を融合させた『両界の嗣子』を生み出そうとした。
[とむらいの鐘]が強大な組織となったのは彼が出会った“徒”を誰も見捨てなかったからであり、癖の強い『九垓天秤』全員から慕われているところからもその人格面での優しさを伺える。愛し合う者同士が共に生きる事を望んだが叶わなかった過去を持つためか、マティルダとアラストールが愛し合っていた事を知っていたため、瀕死でもはや勝利は無いのに道具の如く世界のバランスを守るために死のうとする二人に同情し、二人の間にも子である『両界の嗣子』を作らせ仲間にしようと説得するが、最終的にアラストールの神威召喚『天破壌砕』で彼らに討滅される。
ユダヤ教・キリスト教で堕天使アザゼルの別名をもつ、カナンで崇拝されたアシズという同名の砂漠の神が存在する。
“虹の翼”メリヒム(にじのつばさ)[Merihim]
声:アニメ 小西克幸
“紅世の王”。炎の色は虹色。『九垓天秤』の一人で、役柄は[とむらいの鐘]が誇る力の象徴『両翼』の右。銀髪の青年騎士の風貌をしており、『九垓天秤』中で唯一、その姿は人間のものと酷似している。自己中心的で傲慢な性格で癇癪持ちだが、聡明な所や冷静な所や一途な所もある。[とむらいの鐘]の宿敵であり、当代最強を誇ったフレイムヘイズ、マティルダ・サントメールを愛し、恋敵であるアラストールを嫌っていた。
一体一体が並のフレイムヘイズに匹敵する力を持つマティルダの『騎士団』を一瞬にして切り伏せる剣技に加え、距離による威力減退がないという恐るべき特性を持つ直線の虹の破壊光線を剣閃と共に放つ、中世欧州において当代最高の破壊力を持つと称されていた自在法『虹天剣』を使い、さらに虹天剣の反射・変質を行う宙に浮く透明な「攻撃のための盾」である、硝子の盾の“燐子”『空軍(アエリア)』を多数所持しており、メリヒム個人の戦闘力の向上に加えて、[とむらいの鐘]の軍全体を支える空中での強大な抑止力となっていた。また、虹天剣は虹の七色の内の赤や黄色の光線だけを飛ばして威力を抑えたり、ある程度広範囲に放つ事や、切り札として七人に分身し相手を囲み、それぞれが放つ七色の光で虹の輪を作り破壊の力を集中させ撃砕する技も併せ持つ。
先の『大戦』の折、先代『炎髪灼眼の討ち手』マティルダ・サントメールに敗れたのち、マティルダとの「誓い」を彼女への愛の証明として守る為、自らの顕現の規模を最低限の動くのみに抑えた「白骨」として数多くの『炎髪灼眼の討ち手』候補や幼少期のシャナ(まだ名は無かった)を鍛えた。シャナからは「シロ」と呼ばれていた。シャナの契約の後、マティルダとの「誓い」を果たすため、イルヤンカと共にマティルダ、ヴィルヘルミナと死闘を繰り広げ敗れた時から数百年間全く回復していない身体に残された命を削った最後の力で“紅世の王”としてシャナと戦い、身をもって彼女にフレイムヘイズの戦い方を教え、倒され、彼女に『最強の自在法』の存在を教えた後に、自らの愛の完遂とシャナの成長に満足しながら『天道宮』の崩壊と共に消える(アニメでは倒された後のシャナとの最後の別れのシーンは省かれた)。ヴィルヘルミナは彼に好意を抱いていたが、彼は最後まで彼女の好意を無視して真っ直ぐにマティルダを愛し続けた。あだ名は「虹の剣士」。
前述の通り『大戦』から『炎髪灼眼の討ち手』として契約したシャナが現れる数百年間もの間、全く回復していないのにも関わらず、『天道宮』に侵入したオルゴンをレギオンごと一撃の下に滅す攻撃力を保っていた。
雷と稲妻を齎す『空の軍勢』の君主たる悪魔デーモン、または地獄の九階級の第六位、アエリアエ・ポテスタテス(“空の軍勢”の意)の『メリジム(Merizim)』という似た名前の君主が存在する。つまり、『空の軍勢』が共通点であった。
“甲鉄竜”イルヤンカ(こうてつりゅう)[Illyanka]
“紅世の王”。炎の色は鈍色。『九垓天秤』の一人で、役柄は[とむらいの鐘]が誇る力の象徴『両翼』の左。体中が鈍色の鱗で覆われた、四足・有翼の巨竜の姿をしている。自らを老人と称する、非常に古株の“王”。戦闘時は獰猛な面を見せるが普段は温厚かつ思慮深く、ともすれば激発しがちなメリヒムらの抑えにまわる、『九垓天秤』の長老格。チェルノボーグのモレクに対する想いや、ヴィルヘルミナのメリヒムへの好意にも気付いていた。人間に対する認識は、他の“徒”と同様「麦の穂」程度にしか見ていないため、『壮挙』に何の引け目も感じていなかった。
口や全身から噴出し留まらせる事で強大な防御力を発揮する、当代最硬を誇る鈍色の煙の自在法『幕瘴壁』を使う。また、『幕瘴壁』は先端のみを硬化させることで強大な打撃力をもつ推進弾としても応用できる。
先の『大戦』の折、メリヒムと共に宿敵マティルダとヴィルヘルミナと戦い、ヴィルヘルミナの手によって討滅される。あだ名は「鎧の竜」。
ヒッタイト神話にイルルヤンカシュ(イルヤンカ)という同名の邪龍が登場する。
“大擁炉”モレク(だいようろ)[Molech]
“紅世の王”。炎の色は黄色。『九垓天秤』の一人で、役柄は組織の運営や裁量を行う宰相。役職上組織のNo.2であり、『九垓天秤』の実質的なリーダーだが、普段は控えめというより小心で、地位に伴う威厳は皆無である。豪奢な礼服を纏った、直立した牛骨の姿をしている。「強者」ではなく「賢者」として恐れられた数少ない“王”であり、戦闘には向いていないため戦闘面では主に作戦の立案などを担当しているが、その力の大きさは異常な程であり、自らを空間ごと山をも覆う巨大な牛型の迷宮へと変質させ敵を閉じ込め、同時に取り込んだ味方を有利な戦場で戦わせサポートする自在法『ラビリントス』を使う。
同志に対しては穏やかで優しいが、人間は「自分達と同じ様な精神を持つが決定的に弱い種族」として、他の“徒”同様、「麦の穂」程度にしか思っていない。また、他人の自分への思いを察知するのにも疎く、最後まで周りからの密かな尊敬やチェルノボーグの好意にも気付けなかった。最後は主や仲間のために、自身の確実な死を理解しながらも『ラビリントス』を維持し続け、マティルダの全力爆破により討滅された。あだ名は「牛骨の賢者」。チェルノボーグからは「痩せ牛」とも呼ばれる。
旧約聖書ではモレクという同名の古代中東の神が登場する。
“闇の雫”チェルノボーグ(やみのしずく)[Chernobog]
“紅世の王”。炎の色は枯草色。『九垓天秤』の一人で、役柄は隠密頭だが、『頭』とは言っても部下などはおらず、単独で行動する暗殺者である。巨大な右腕と獣の耳を持つ、黒衣を纏った黒髪で痩身の女性であり、顔と耳の白い毛以外は全てが黒く覆われている。右の巨腕を織り交ぜた体術や爆破攻撃や、影に身体の一部や全体を潜り込ませ近距離へと転移する『影浸』という自在法を駆使し闘う。モレクに好意を寄せ、彼から与えられた仕事をこなすこと、彼を守る事にこの上なく大きな充足感を覚えていたが、表面上は彼を「痩せ牛」と呼んで蔑むそぶりを見せ、いつもきつい態度で当たっていた。
モレクを失った喪失感からの自暴自棄の自殺にも近い特攻の果てに、先代『炎髪灼眼の討ち手』マティルダ・サントメールの胸を貫き致命傷を負わせるも、ヴィルヘルミナ・カルメルの手で討滅される。あだ名は「黒衣白面の女」。
スラヴ神話にチェルノボグという似た名前の黒の神が登場する。
“凶界卵”ジャリ(きょうかいらん)[Jarri]
“紅世の王”。炎の色は亜麻色。『九垓天秤』の一人で、役柄は組織のための情報収集にあたる大斥候。魔物・老人・女の面が張り付いた人間大の卵の姿をしていて、その3つの面から、付き合いの長い仲間でさえもなんとなくしか意図が知れない意味不明な声を繋げて喚く。[とむらいの鐘]の中でも古参の“王”。チェルノボーグのモレクに対する想いにも気付いている様で全く関係ない様な、微妙な発言もした。
無数の蠅の大群にて広範囲の相手を索敵・情報収集・攻撃する自在法『五月蝿る風』を駆使する。攻撃用の自在法では無いため、ある一定以上の防御力を持つ相手には攻撃効果がないが、それでも十分に強力であり、防御手段を持たないフレイムヘイズは蠅に喰われてしまうため、『大戦』では戦場となった平原の空中に密集させることで、『空軍(アエリア)』を失ったメリヒムに代わり討ち手の大部分の飛行を封じていた。あだ名は「奇妙な卵」。最強の敵マティルダを前に最後まで主に付き従ったが、マティルダにより『天破壌砕』を行う際の生贄とされた。
ヒッタイト・小アジアの同名の疫病の神が存在する。
“巌凱”ウルリクムミ(がんがい)[Ullikummi]
“紅世の王”。炎の色は濃紺。『九垓天秤』の一人で、役柄は先陣を切って[とむらいの鐘]の軍を率いる先手大将。分厚い鉄板もしくは鉄塊を巨大な人型に組んだような姿で頭部は無く、胴体部分に双頭の白い鳥の絵が描かれている。大戦では“徒”の軍勢を率い、フレイムヘイズ兵団と戦った。周囲の鉄を集め、自身の濃紺の炎の竜巻に巻き込み、“存在の力”で強化された鉄による膨大な質量と怒涛の勢いで敵を砕く自在法『ネサの鉄槌』を使う(漫画版では、大地を抉る程の威力を持つ衝撃波になっている)。あだ名は「鉄の巨人」。
卓抜した戦術眼と統率力の持ち主であり、公明正大な人格者で、仲間からの信頼も厚い。『大戦』では、先手大将として軍勢を率いて、ゾフィー率いるフレイムヘイズ軍団と戦い続け、終始フレイムヘイズ軍団と互角以上に戦った。アラストールの顕現により大勢が決した後はより多くの同胞を生かすため、生き残っていた全軍を[仮装舞踏会]へ任せ、自身はフレイムヘイズを足止めするために残り、ゾフィーに討滅される。
ヒッタイト神話に登場するウルリクムミという同名の巨人が存在する。
“架綻の片”アルラウネ(かたんのひら)[Alraune]
“紅世の徒”。炎の色は薄桃。その姿は、美女の顔を中心に抱いた妖花。援護や補助の自在法を得意とする自在師で、“巌凱”ウルリクムミの副官を務めていた。常に疑問形で話す癖がある。最後まで先手大将としての使命を果たそうとするウルリクムミに付き添い続け、彼と共に散る。
アルラウネという同名の人の形をした植物が存在する。
“焚塵の関”ソカル(ふんじんのせき)[Sokar]
“紅世の王”。炎の色は黄土。『九垓天秤』の一人で、役柄は“巌凱”ウルリクムミと同じく先陣を切って[とむらいの鐘]の軍を率いる先手大将。木の葉一つ無い石の大木の姿をしており、洞から甲高い声で喋る。周囲一帯を石の木で覆い尽くす防御陣『碑堅陣』の使い手。あだ名は見た目通りの「石の大木」。名うての戦上手であったが、『大戦』では、防御陣と性格の相性が悪いこともあってカール・ベルワルドによって速攻で討滅されてしまった。見栄っ張りな性格で、ブロッケン要塞落成の式典の際には、入城の序列を巡って騒ぎを起こしたりもした。話が回りくどい。陰険悪辣の嫌な奴(ウルリクムミの評)である為か、他の面々、特にニヌルタとは反りが合わない。“千変”シュドナイと知らぬ仲ではないらしい。
同名のメンフィスの墓地の神が存在する。
“天凍の倶”ニヌルタ(てんとうのぐ)[Ninurta]
“紅世の王”。炎の色は黝(あおぐろ)。『九垓天秤』の一人で、役柄は全軍の中核となるアシズを守りつつ、[とむらいの鐘]の主力軍を統率する中軍首将。その姿は槍や剣や棍棒など様々な武器が刺さったガラスの壷で戦闘時はこれらの武器に霜が降り始める。「氷の剣」と形容されていた。謹厳実直な性格で、公正ならば文句は言わないが、自己顕示欲の強いソカルとはよく激突していた。『大戦』直前の『小夜啼鳥』奪取の際にフレイムヘイズらによって討滅された。漫画版「灼眼のシャナX Etarnal Song -遙かなる歌-」では、アシズたちの退路を守って戦い抜き、マティルダに討滅された。
同名のバビロニア神話の戦争の神が存在する。
“戎君”フワワ(じゅうくん)[Huwawa]
“紅世の王”。炎の色は焦茶。『九垓天秤』の一人で、役柄は戦機に応じて動き、強襲や危険な任務を遂行する遊撃部隊の長・遊軍首将。腹まで口が裂けた巨大な狼の姿をしており、「牙剥く野獣」と形容される。戦いにしか興味のない性格。『大戦』以前の『都喰らい』発動後の戦いでマティルダによって討滅された。
バビロニア神話にフンババ(Humbaba)という似た古名をもつ怪物が存在する。

[革正団(レボルシオン)]
19世紀後半に現れ始めた『“紅世の徒”の存在を人の世に知らしめる』という思想を元に活動する“徒”達の集団。その実体は『組織』と言うより『集団』と例えたほうが的確な思想結社。通常の組織と違って明確な組織の首魁などが存在せず、根拠地すら定めず、各地で散発的にこの集団である事を“徒”やその賛同者(人間やフレイムヘイズを含む)が名乗り、『運動』と称して活動していた。その活動目的から封絶を良しとしない傾向がある(その為、[革正団]のメンバーは封絶をあまり使わない)。極一部とはいえ人間やフレイムヘイズも所属していたという点で他の組織とは一線を画している。1930年頃には欧州で活動が活性化し、遠く離れたアメリカ大陸からもこの集団を止めるために多くのフレイムヘイズが駆り出されていたため、その頃にはメンバーは相当な数に上っていると思われる。普通のフレイムヘイズや“徒”からは狂気の集団の如く扱われていた。フレイムヘイズとの対[革正団]戦争において、最小単位での浸透戦術を使用されて敗退し、根絶されるに至った。

“征遼の睟”サラカエル(せいりょうのすい)[Sarakiel]
“紅世の王”。炎の色は碧玉。美麗な男性の聖職者の風貌をしているが、戦闘の際には後光が射して、髪の間に無数の縦に開いた瞳が現れる。[革正団(レボルシオン)]の一人であり、20世紀初頭のハワイの近辺で活動していた。睨んだ対象に自在法を飛ばし、瞳を対象に宿らせる事で強化や干渉を行う自在法『呪眼(エンチャント)』を使う。また『呪眼』である瞳自体を飛ばし、防御や攻撃にも用いる。
理知的な性格で、自分の思想に共感するのであれば、敵であるフレイムヘイズも、“徒”から食われれば非常に弱い人間も、『同志』としてどちらが上も下も無い対等な関係である事を望む。
自覚も無く“徒”に喰われ続けるだけの人間を憂い、“徒”と人間との間に『明白な関係』を打ち立てることで、二つの種族が住まうこの世をより良く変えようとしていた。これは人間が“徒”に比べて劣った搾取される種族である事を世に知らしめる行為と同義であり、混乱や虐殺の増加を招きかねない上に、人間という種族全体が失意と落胆に陥る可能性のある行為でもあったが、彼は人間ならばそれすら乗り越え、“徒”と向き合ってより良く生きて行けると本気で信じていた。
教授製作の『オベリスク』(正式名称『我学の結晶エクセレント27071-穿破の楔』)を使い、自分の命を力に変え使い果たす事で、自在法を乗せた電波を世界中に発信し、あらゆる送受信機に自らの言葉と姿を現すことで、『明白な関係』作りのためのささやかなきっかけを作ろうとしていたが、サーレや『約束の二人』、『極光の射手』としての真の顕現を果たしたキアラ・トスカナに妨害され失敗、最期を悟った後は、自らの願いをほんの少しだけ発信し、この世と人間を蹂躙する事のできる力を持った“紅世の徒”の存在の説明と、そんな“徒”とも対等に関わっていく事のできる人間の『心』についての語りの中途で『オベリスク』ごと粉砕され討滅される。
サリエルの別名をもつ同名の天使が存在する。
“吠狗首”ドゥーグ(はいこうしゅ)[Doog]
二足歩行の黒犬の姿をした“紅世の徒”。炎の色は灰色。[革正団(レボルシオン)]の一人である。[革正団]として活動する200年ほど前からサラカエルと行動しており、その頃はサラカエルを『お頭』としていた。
犬の面と毛皮を付けた岩石獣人の“燐子”『黒妖犬(モディ)』を使う。簡単な命令をこなす程度の最低限の知能しかないが、大量に作り出すことや、機能を凍結させ長期保存させる事もできる。奥の手として『黒妖犬』自身が崩壊するほどの強烈な咆哮を放つ『金切り声(トラッシュ)』を持ち、サラカエルの『呪眼』の強化と組み合わせることで、複数のフレイムヘイズや“紅世の王”をしばらくの間行動不能にさせる事が出来る。
ハワイ島マウナロア火山近域で行われた戦いで、強化された数十体の『黒妖犬』による『金切り声』でサーレやキアラ達の鼓膜や肺を破り気絶させ、時間を稼いだ後はサラカエルの言い付けで戦線を離脱、瓦礫に飲まれかけた同志ハリエットを助けた後は、サラカエルの遺言で、他の同志に彼の考えが書き込まれた本を見せるために、本を持ってアメリカ大陸へと海を泳ぎ、消息不明となる。
同名のマン島の妖精犬、モーザ・ドゥーグが存在する。

[百鬼夜行]
“紅世の徒”を時代に応じた乗り物で運び、送る事を生業とする運び屋。隠蔽と遁走に秀でた三人の“徒”が営む集団。古くから弱小の“徒”の移動手段や大物の“徒”の隠遁行動の助けなど、多くの“徒”を運び届けてきた。モットーは「安全運転、安全運行、危機に対さば、即退散」。

三人ともそれなりに大きい力を備えているが、力を誇らないために“王”とは見なされず(また、強大な“王”達に比べればその力も自在法も格段に見劣りする)、 ゼミナ以外は戦闘にも向いていない。しかし、小知恵が回り、人心の操作や相手の裏をかく事に長け、慎重に根気強く潜伏しながら業務を行い、自身らの脱出・逃走を行動原理の最優先として、危機に際してはその能力の全てをかけて手段を選ばず逃げる事で、何度となく死に掛けながらも遥か昔から生き残ってきた。数百年前にはマティルダ・サントメールとヴィルヘルミナ・カルメルの“最凶”コンビからも、首の皮一枚ながらも逃げ延びた。

20世紀初頭に起こった欧州での[革正団]の騒動では彼らの足となり、外界宿の警戒網を掻い潜って[革正団]の構成員を運び、指導部に暗殺者を送り届けるなど、影の花形として活躍していた。

“深隠の柎”ギュウキ(しんいんのふ)[gyūki]
“紅世の徒”。[百鬼夜行]の頭目。炎の色は不明。長く伸びた首の先に角ばった木彫りの獣顔が付いた、獅子舞や西洋のシーツお化けのような姿の“徒”。シーツ状の体の端からは、必要に応じて木製異形の腕が出て来る。物事を説明する際、翡翠でできた兵棋の駒をよく使う。人間を利用する事に長けた[百鬼夜行]の三人の中でも、特に優れた手腕を持つ。パラからは「ボス」、ゼミナからは「ギュウキさん」と呼ばれている。
透明な布状の力で覆う事で自身・他人を大人数、大きくも小さくも気配隠蔽を施せる自在法『倉蓑笠(くらのみのかさ)』を使う。これは他者の姿を自分達そっくりに偽装させる事も出来る(偽装させられた側は声を出せなくなり、偽装の口からはギュウキ達の言葉が勝手に放たれる)。
日本に牛鬼という同名の妖怪が存在する。
“輿隷の御者”パラ(よれいのぎょしゃ)[Para]
“紅世の徒”。[百鬼夜行]の運転手。炎の色は不明。緑の制服、白手袋、ゴーグルを身に着け、口元にスカーフを巻いた、暗い翳りのような姿。パラとギュウキの能力の組み合わせによって[百鬼夜行]の通常活動は行われている。
あらゆる物体を“燐子”に変化させる技巧者で、[百鬼夜行]の乗り物は彼が作り出す“燐子”である。また、体組織の黒い翳りをばら撒き、それを取り付かせた物体を幾十百も操作する自在法『ヒーシの種』を使う。ただし、ばら撒く範囲が広すぎると制御しきれない場合もある。
フィンランドの伝承に同名の家事の聖霊が存在する。
『大人君子号(たいじんくんしごう)』&『温柔敦厚号(おんじゅうとんこうごう)』
パラの作り出した二つの“燐子”。[百鬼夜行]中央亜細亜便の移動手段。年代物のボンネットバスの姿をしており、五十度を越える急斜面にへばり付いて走行することもできる。話すことはできない。運転しなくても動く。
乗客を運ぶ際は『大人君子号』にパラが、『温柔敦厚号』にゼミナが乗り込み、ギュウキはフードマスコットの姿で両方のボンネット先端に張り付いて気配隠蔽を施している。本編開始の二年前に[百鬼夜行]に誘導されてヴィルヘルミナを襲撃した数十名の“徒”を逃がさない為に、ヴィルヘルミナによって瞬く間に破壊された。
このバス以外にも[百鬼夜行]は時代の移り変わりと共に様々な乗り物を使って運び屋家業を行ってきており、20世紀初頭の[革正団]の騒動時には軍用の大型飛行艇をも使用している。なお、乗客は乗り物の中では人化の自在法を使うことを義務付けられる。
“坤典の隧”ゼミナ(こんてんのすい)[Žemyna]
“紅世の徒”。[百鬼夜行]の用心棒。炎の色は不明。外見は二十代半ばでざんばら髪を雑に束ね、眼の周りに隈取をした和装の女。三人中唯一戦闘向きの“徒”で、非常時(主に戦闘・逃走)の対応担当。武器として常にゴツいツルハシを持ち歩いている。
地面に大穴を掘り離脱する遁走の自在法『地駛(じばしり)』を使う。地面から遠く離れると使えない。
リトアニアの民間伝承に同名の自然の女の精霊が存在する。
セムルヴ[Simurgh]
“紅世の徒”。[百鬼夜行]の斥候(臨時雇い)。真名及び炎の色は不明。
鳥とも竜とも見える姿をしていた。[百鬼夜行]を追って中央アジア入りしていたヴィルヘルミナに「斥候らしき不審者」として目をつけられ、逃走。渓谷に潜伏していた“壊刃”サブラクによる『約束の二人』襲撃に巻き込まれて命を落とした。
イラン神話にシームルグの別名をもつセーンムルヴという似た名前の霊鳥が登場する。

[巌楹院(ミナック)]
「灼眼のシャナX Eternal song ‐遙かなる歌‐」に登場。16世紀初頭の北フランスで大きな勢力を有していた、“盤曲の台”ゴグマゴーグを首領とする組織。“徒”達の代理戦争協定「君主の遊戯」の遊戯者の組織の中でも大物であった。『大戦』の直前、他の遊戯者たちと連携してフレイムヘイズ兵団への一大包囲網を張ろうとしていた所、それを未然に阻止するために襲撃してきたマティルダ・サントメールとヴィルヘルミナ・カルメルの二人によって壊滅させられた。
ダーラン サフィ サウンド サイド バング レウイ ルンペン レバノン ブラック シード バレー ソフトダ ロッシュ メロン シャーリ おおばなさ クリーン きゅうせき ケマン カイドウ くしびき ハーフ フェア ビリティ ユーエ モッツ ルヒル ヒューズ ライダー 幸福 リンクス マチン ユッケ スリラー YELLOW テレカ ゲート セッション 風の足跡 オンシ 艶姿 検索ジム バースト テレフ ハック プライ ダバード ワクシニア オーバ モンテ

“盤曲の台”ゴグマゴーグ(ばんきょくのだい)[Gogmagog]
“紅世の王”。炎の色は不明。[巌楹院(ミナック)]の首領。
一見すると舞台の上で踊っている等身大の女性型人形の姿をしているが、実はその人形と人形の踊る舞台が丸ごと本体であり、戦闘時には舞台に偽装していた巨大なロボットが迫り上がり、動き出す。女性型人形か巨大ロボットのどちらかにダメージを受けるともう一方もダメージを負う。功を挙げるためには己の部下も城も容赦なく切り捨てる。幻覚を生み出し、幻覚による攻撃の中に実体のある機械人形での攻撃や女性型人形からの炎弾を織り交ぜることで敵を惑わし、巨大ロボットの拳で叩き潰すという戦法を取る。
『大戦』の直前、[厳楹院]の本拠地にて、ベルペオルの計画したフレイムヘイズ兵団包囲網への加勢の要請をストラスから通達され、了承した直後にマティルダとヴィルヘルミナの襲撃を受け、乗り込んできたマティルダとの一騎打ちに臨む。自身も深手を負わされながらもマティルダを追い詰め、とどめを刺す寸前、助けに来たヴィルヘルミナに動きを止められ、その隙にマティルダの攻撃を受けて討滅された。
ゴグマゴグという似た名前の巨人が存在する。

2009年02月09日

イラクの歴史

この項には、イラクについて、先史時代から現代に至るまでの地域史を述べる。 イラク地域は、古代史ではメソポタミアとよばれた。 世界最古の文明であるメソポタミア文明が栄え、シュメール、アッカド、アッシリア、バビロニアなどの古代国家がこの地を支配した。 紀元前6世紀頃より、この地域は広大なペルシア帝国の一部となったが、イラク地域は帝国の主要地域で、帝国時代の大半ではイラク地域に首都が置かれた。 7世紀以降はこの地域は急速にイスラム化し、イスラム帝国やオスマン帝国などの大イスラム王朝の一部となった。 第一次世界大戦後にイラク国家はまずは君主制で独立し、やがて共和国となった。 1990年代以降、湾岸戦争、イラク戦争の二度の戦争の後、現在は新しく民主議会選挙による政府が発足している。
メイン フェムト ブレンダー オーダ ジャッキ プロデ ハンド ヨーグルト ひょう リゾット しゅうばつ メーター ダンク デマンド サイトゲ バオアン アコウ カーレ アオイル カーネル モルヒ スター メトロ アシカ センチュリー カルーセル サラダ キャメ バック レイヤー 笑い話 風の子 リットル オジギソ りゅうら 宝石箱 ダンス ウンディー リベット アウテ ビー ジャケブル イバナ バタフラ いもがゆ トラックク レース バズーカ コリドー ブレーク

約6万年前のイラクには、ネアンデルタール人が住んでいた。 当時、ネアンデルタール人は、ヨーロッパを中心に西アジアから中央アジアまで分布していた。 イラク北部のシャニダール洞窟で化石が発掘されているが、同時に数種類の花の花粉が発見されたことから、ネアンデルタール人には死者を悼む心があり、副葬品として花を添える習慣があったという説がある。

DNA解析などの研究に基づき、ネアンデルタール人と現生人類との間には直接のつながりは無いとする説が有力である。

古代史
現在のイラクとほぼ同じ地域が、古代史ではメソポタミアと呼ばれ、世界最古の文明であるメソポタミア文明が栄えた。 メソポタミア文明は、メソポタミア南部のシュメールから始まり、やがて北部に広がっていった。 メソポタミア地方は、シュメール、アッカド、アッシリア、バビロニアなど多くの文明によって征服された。

現イラクはチグリス川とユーフラテス川が形成した沖積平野にあるが、ここから西シリア、エジプトにかけての地域は、土壌が肥沃で多くの古代文明が生まれたので、古代史において肥沃な三日月地帯と呼ばれる。

初期のメソポタミア文明
楔形文字を刻んだ粘土板メソポタミアで最初に文明を築いたのは、シュメール人を中心とした人々である。シュメール文明は、メソポタミアの南部、チグリス川とユーフラテス川の下流域に生まれた。シュメール人の民族系統は不明であり、その起源や周辺諸民族との関係は様々な技術を発明した。特に、紀元前3500年頃には楔形文字を発明し、粘土板に残している。紀元前3千年紀に入るまでには、言語や宗教的な同質性を基盤としたシュメールという統一概念が形成されていた。またシュメール人とともにセム語を喋る人々もこの文明の重要な担い手であった。メソポタミア南部は文字による記録が残される最初期からシュメール語とセム語のバイリンガル地帯であった。紀元前2700年頃には、下流域にウル、ウルク、ラガシュなど多くの都市国家が形成された。

メソポタミア文明の発達につれて、周辺地域との関係も記録に残されるようになり、相互の関係が明らかとなり始める。現在のイラン西部ではエラム人が発展した。エラム人は早くからシュメール人と接触し、古いシュメールの神話の中にはエラム人が度々登場する。これ以後、紀元前6世紀までメソポタミアの様々な王朝と互いに征服を繰り返した。

メソポタミア南部、シュメールの北方地方では古くよりセム系諸語を話す人々が優勢であった。彼らはやがて全メソポタミアを征服したサルゴンの建てたアッカドにちなみアッカド人と呼ばれる。アッカド語はオリエント全域で使われる共通語として発達した。紀元前2千年紀後半、アッカド王サルゴンはシュメールの都市国家を征服し、メソポタミア北部も征服して、初めてメソポタミア統一を果たした。アッカド帝国は中心都市をアッカドに定めて、版図を地中海やアナトリア半島まで広げた。アッカド帝国は初めて中央集権を確立したので、交通と交易は発展し、メソポタミアの経済的・文化的統一も進んだ。

勢力を誇ったアッカド帝国だが、周辺民族との戦いやシュメール都市国家の相次ぐ反乱によって消耗し、紀元前2200年頃に滅亡した。紀元前2125年頃、メソポタミア南部にあるシュメール人の都市国家ウルがメソポタミアの支配を獲得し、ウル第三王朝が建てられた。ウルは、現在知られている最も古い法典であるウル・ナンム法典を定めた。

古バビロニア
ハンムラビ法典に描かれているハンムラビ(左側)と太陽神シャマシュ(右側)次にメソポタミアで勢力を持ったのは、現シリア地方から移住してきたセム語派のアムル人だった。ウル第三王朝はアムル人やエラム人の侵入により、紀元前2004年頃に滅亡した。その後紀元前1750年頃まではイシン・ラルサ時代と呼ばれ、イシン、ラルサ、バビロニアなどアムル人王朝がメソポタミアの覇権を競い合った。アムル人がメソポタミアに建てた王朝はシュメールの後継者の意識を強く持ち、政治的、宗教的にはシュメールやアッカドの文明に同化していった。

その後、メソポタミアはバビロンのハンムラビ王(紀元前1792年-紀元前1750年)によって再統一され、バビロニア王国(古バビロニア、またはバビロン第1王朝)として繁栄した。「目には目を、歯には歯を」で有名なハンムラビ法典はハンムラビ王によって作られた。古バビロニアはシュメールからペルシャ湾まで、チグリス・ユーフラテス川のほぼ全流域を統治し、約200年の間続いた。

紀元前1595年、アナトリア半島(小アジア)のヒッタイト(ヒッタイト古王国)が東方に遠征し、古バビロニアは滅ぼされた。ヒッタイト人はインド・ヨーロッパ語族に属する言語を用いた人々である。遠征直後にヒッタイト王ムルシリ1世が暗殺され、ヒッタイトが衰退したので、メソポタミアの統治は混乱した。

メソポタミア北部ではフルリ人がミタンニ王国を建立した。メソポタミア南部のバビロニア地域は、紀元前1475年頃までに、カッシート王国(バビロン第3王朝)によって統一された。カッシート人の出自は不明な点が多い。これによりオリエントは、ミタンニ王国とカッシート王国、北のアナトリア半島のヒッタイト、西のエジプトと、4強国が支配する状態になった。

アッシリア帝国の成立
アッシリアの勢力圏の変遷次にメソポタミアの支配者の座についたのはセム語派に属するアッシリア人だった。 アッシリアはミタンニ王国の東に位置し、これまでミタンニ王国に支配されていた。 アッシリアは、紀元前1340年頃ミタンニを破って事実上併合し、紀元前1235年頃バビロニアのカッシート王朝を打倒し、メソポタミアの支配を獲得した。

その後、反乱が起きてアッシリアの王朝はバビロニアから追われた。 バビロニアにはイシン第2王朝(バビロン第4王朝)として知られる王朝が生まれた。 この王朝の王の中では、エラムとの戦いで勝利を収めたネブカドネザル1世(紀元前1119年―紀元前1098年)について多くの文学作品が残されている。

紀元前10世紀頃、アッシリアは勢力を盛り返した。 アッシリアの歴代の王は領土を拡大し、特に紀元前744年に即位したティグラト・ピレセル3世はバビロニアを含め周辺諸国を征服して領土を広げ、アッシリア帝国と呼ばれるようになった。

新バビロニア

紀元前800年代以降、バビロン周辺ではセム語派のカルデア人が勢力を増した。 紀元前626年、カルデアの王ナボポラッサルは、アッシリア帝国からバビロニア地方を奪取し、新バビロニア(カルデア王国)を建国した。 さらにナボポラッサルは、現イラン北西部を中心とするメディア王国と同盟を結び、紀元前612年にアッシリアの首都ニネヴェを陥落させ、アッシリア帝国を滅ぼした。 これによりオリエントは、新バビロニア、メディア、エジプト、アナトリア半島のリディアの四大国の時代になった。

新バビロニアの王の中ではネブカドネザル2世(紀元前604年-紀元前562年)が有名である。 紀元前586年、ネブカドネザル2世はユダ王国を征服し、15,000人とも言われる捕虜をバビロニアに連れ去った(バビロン捕囚)。 また伝説によると、ネブカドネザル2世は、世界の7不思議の一つ、バビロンの空中庭園を建造した。

ペルシアの支配
紀元前6世紀から紀元7世紀にかけて、イラク地域の主な支配者はアケメネス朝ペルシア帝国、セレウコス朝シリア、パルティア、サーサーン朝ペルシア帝国と様々な大国に移り変わった。 このうち、ギリシア系のセレウコス朝を除いては、ペルシア(イラン)系である。 この時代、イラク地域は大国の中心であり続け、セレウコス朝の首都は初期には現イラクのセレウキアに置かれ、パルティアとサーサーン朝の首都は現イラクのクテシフォンに置かれていた。

アケメネス朝ペルシア帝国

アケメネス朝ペルシア帝国の最大版図(詳細はアケメネス朝を参照。)

紀元前550年、新バビロニアの北東に接するメディア王国が大キュロスの反乱によって滅ぼされた。 紀元前539年、リディア王国も征服した大キュロスによって新バビロニアは征服され、アケメネス朝ペルシア帝国(古代イラン帝国)の支配下に収まった。 アケメネス朝は後にエジプトを併合し、オリエント統一を果たした。

キュロス大王の征服以降、現イラクはクバルバラ(en:khvarvaran)州の名で呼ばれるようになった。 アラビア語の「イラク(Iraq)」は、ペルシア語の Ērāk から派生した言葉だが、この時代には未だ使われていなかった。
セレウコス朝シリア

アレキサンダー大王の征服範囲(詳細はアレクサンドロス3世、セレウコス朝を参照。)

紀元前331年、アケメネス朝ペルシア帝国は、アレキサンダー大王の遠征によって滅亡した。 アレキサンダー大王は古代マケドニア王国(現ギリシャの一部)の国王で、短期間のうちにインドに至るまでの広い範囲を征服し、紀元前323年にバビロンで没した。

アレキサンダー大王の死後、後継者争いが起こった(ディアドコイ戦争)。 この結果、バビロニアを基盤にするセレウコス1世が、イラン、シリアの支配も獲得し、ギリシア系のセレウコス朝シリア(シリア王国)を起こした。 以後2世紀の間、現イラク地域はセレウコス朝の支配下に置かれる。

セレウコス朝の首都は、初めはバビロンの北の新都セレウキアに置かれた。 首都は間もなく北シリアに移されたが、その後もセレウキアは首都アンティオケイアにならぶ主要都市として繁栄した。

パルティア
紀元前3世紀中ごろ、セレウコス朝の支配力が衰え、イラン東北地方のパルティアと呼ばれるイラン系遊牧民が独立した。 パルティアは、紀元前141年までにはバビロニアの主要都市セレウキアを征服し、ミトリダテス2世(在位:紀元前123年頃 - 紀元前87年頃)の時代にはメソポタミア(現イラク)からインダス川までを支配する大国となった。 パルティアの首都は、現イラクのバグダード南東にあるクテシフォンに置かれた。

サーサーン朝ペルシア帝国
この後、現イランのペルセポリスで独立したアルダシール1世が、226年にパルティアを滅ぼしてサーサーン朝ペルシアを起こし、230年には現イラク地域を支配下に収めた。 首都は現イラクのクテシフォンに置いた。 この王朝は、7世紀にアラブ系イスラム教徒(ムスリム)に占領されるまで続く。

現イラク地域はまだクバルバラと呼ばれていて、その中をさらにミシャン(Mishān)、アスリスタン(Asuristān)、アディアベーン(Ādiābene)、下メディアに区分されていた。 サーサーン朝の南部と西部のアラビアの砂漠にはアラブ部族が住んでいて、サーサーン朝の支配を受けながらラフム朝ヒーラ王国が治めていた。 サーサーン朝の北部(イラクの北部)はビザンチン帝国に接していた。

サーサーン朝とビザンチン帝国と衝突を繰り返しており、イラク北部はビザンチン帝国に支配されることもあった。 602年、ホスロー2世はビザンチン帝国に最後の大規模な遠征を行った。前半にはビザンチンの首都コンスタンティノポリスの間近まで迫ったが、後半は戦況が反転し、627年から628年には、ヘラクレイオス帝率いるビザンチン軍がサーサーン朝の首都クテシフォンを奪取した。このときはビザンチン軍はすぐに撤退したが、サーサーン朝の国力は大きく消耗した。

サーサーン朝の時代のイラク地域には、ペルシア人(イラン人)、アラム語系住民の小作農、牧畜を営むアラブ人、ビザンチンから連れ帰ったギリシャ人奴隷など、多くの民族が暮らしていた。 ザグロス山脈のふもとにはクルド人が住んでいた。

サーサーン朝の国教はゾロアスター教だが、信徒は主にペルシア人に限られていた。 残る住民の多くはキリスト教徒だった。 キリスト教徒は単性論派とネストリウス派とに分かれていて、最も広まったのはネストリウス派だった。 マニ教、マズダグ教の住民もおり、古都バビロン周辺にはユダヤ教徒が住んでいた。 さらに、国土の南部には、キリスト教からは異端とみなされている古バビロニアのマンダ教などグノーシス主義の諸派の教徒がいた

イスラム王朝の時代
610年頃にムハンマドがおこしたイスラム教は、イラク周辺の地域に急速に広まった。 第一次世界大戦に至るまでの千年以上の間、イラク地域は、アラブ系のイスラム帝国、モンゴル系のイルハン朝、トルコ系のオスマン帝国など様々なイスラム王朝の大帝国が支配した。

2009年01月23日

みこすり半劇場

ぶんか社発行の4コマ誌(4コマ漫画専門雑誌)ならびに同誌掲載の漫画のタイトル。正式名称は「岩谷テンホーのみこすり半劇場」。以下で述べる。
「東京スポーツ」(中京スポーツ/大阪スポーツ/九州スポーツ) に連載中のおなじく岩谷テンホーによる同名の4コマ漫画。最終面にカラーで掲載されている。1992年には実写版ビデオ映画がバップから発売された。

原則として月2回第2木曜日と第4木曜日に発売されている(但し、地域によっては発売日が異なることがある)。成人男性向けのお色気4コマ漫画を中心に掲載している、4コマ漫画誌としては異色の存在。月2回刊行もこの雑誌のみ。お色気系ではあるが、いわゆる成人雑誌向けシールは貼られていない。が,グラビアのページはある。創刊は1990年。
レイアグト シアー リトル インジゴ マテハン トリプシン 万木かぶ ストロボ あんず ミング ローカル シャボン アーチ トミート スケー りゅう バーバー テンニン 対策いな パスタ 世界の橋 トレッ パレット レセル イスト トワイライ スター マカロ フォト はつとら ローン ザコン こくちょ ミシシ ミート ブーイ ディティ メルヘ ダウンタ バイフォー ゼット 発酵SEO フェムトセル 夕焼けの丘 サンテ ドリア ノーサイド タギング オミット オプシン

かつては「巨乳ちゃん」「新人ちゃん」と増刊も抱えていた。前者は実話投稿4コマ誌「本当にあった笑える話」となった。後者は4コマ漫画中心の「みこすり半劇場別館」となり、「ひとには、言えない。」(さんりようこ)がヒットしたが、2004年秋に休刊。

主な内容
成人男性向け4コマまんがとお色気実話投稿を中心に扱っており、創刊以来一貫して下ネタ・お色気4コマを専門に取り扱っている。同誌のヒットにより、以降数年間は競合他社も巻き込んで成人向け4コマ誌の創刊が相次いだが、程なくブームは下火となり、現在実話系や増刊を除いた純粋なお色気系4コマ誌としては唯一残る雑誌となっている。また過去には「オマンコ」をそのままタイトルにした作品(著者はいのうえ雅晴)など、過激な内容のものが多かったが、現在ではあからさまに卑猥なネタは当時よりも若干減少している傾向にある。また、現在では一部に一般向け、または色気度の少ない4コマ漫画(「主任がゆく!」等)も一部掲載されるなどしており、時事ネタ企画などで作家を競作させることもある。

2007年5月現在連載されている主な作品
みこすり半劇場(岩谷テンホー)
主任がゆく!(たかの宗美)
桜木さゆみの本当にあったガールズH(桜木さゆみ)
ひまじん酒場 酔庵夜話(ラズウェル細木)=単行本「美味い話にゃ肴あり」
巨乳保育士高島みちこ(鈴木ぺんた)=隔号掲載 ※みこすり半劇場別館から移籍
フーゾク★ハンター(ムラマツヒロキ)=単行本「歌舞伎町ダンディ」
となりの美咲さん(小本田絵舞)
桃色飯店おーもりいっちょー!!(チャールズ後藤)
ふたりはラブラブ(畠山コンツェルン)
つくしさん(やまぐちみゆき)
だーす(浅沼ひろゆき)
みほカジ(たかまつやよい)
人妻出会い頭系(華桜小桃)
風俗どんぶり(山崎大紀)
東京ポルノ(近藤ひじき)
白衣な彼女(たかの宗美)=隔号掲載 ※みこすり半劇場別館から移籍
あそこの処方箋(後藤羽矢子)=隔号掲載 ※みこすり半劇場別館から移籍
便利屋みみちゃん(吾妻ひでお)=隔号掲載 ※みこすり半劇場別館から移籍
特命女子アナ 並野容子(柳沢きみお)
小料理ママ(柿内ゆきち)
チャイナさんち(日高トモキチ)
コイチの人性劇場(えんどコイチ)
マゾっ娘メグちゃん(美月りよ)

終了した漫画
極楽フェロモン(芳井一味、-2005年1月27日号/2号)
桜木さゆみのなぐさめてあげるッ(桜木さゆみ、-2005年2月24日号/4号)
イカしてソーロウ(笑太郎、-2005年3月24日号/6号)
オヤジ搾り(とがしやすたか、-2005年5月26日号/10号)
灼熱のD企画(危過、-2005年9月8日号/17号)
だって女だもんっ!(高松弥生、-2005年9月8日号/17号)※みこすり半劇場別館から移籍
おっ立て茶柱一家!(畠山コンツェルン、-2005年9月8日号/17号)
本当はHなトリビア(宝蔵院達也、-2005年9月8日号/17号)
ブラックニュースショー(いとう耐、-2005年9月8日号/17号)
Cherry Brides(チャールズ後藤、-2005年9月8日号/17号)
なんでもあり(どおくまんプロ、-2005年9月8日号/17号)
笑撃!!オフィス事件簿(すみれいこ、2005年9月22日号/18号-2006年6月22日号/12号)
フルちん学生寮(宝蔵院達也、2005年9月22日号/18号-2006年10月12日号/19号)
ソームのリカちゃん(川本尚夜、2006年9月22日号/18号-2006年10月26日号/20号)
ももかん-官能桃色観音-(荻野眞弓、-2006年11月9日号/21号)
バツイチふりーたー真園瞳31歳(危過、2005年9月22日号/18号-2006年11月9日号/21号)
残尿感が止まらない(ザビエル山田、-2006年12月14日号/23号)
必殺乳舞人VS尻舞人(よしの〜ん、-2006年12月14日号/23号)
セフレの りっちゃん(無制限寿)、-2007年月4号?日号/9号)

2009年01月16日

ニコラ・プッサン

ニコラ・プッサン(Nicolas Poussin, 1594年6月 - 1665年11月19日)は、バロック時代のフランスの画家。「プサン」「プーサン」とも表記する。

17世紀のフランスを代表する画家であるが、画家としての生涯の大半をローマで過ごした。1594年、フランス・ノルマンディー地方のレザンドリーに近いヴィレという村で生まれた。父親は地方の小貴族だったが、プッサンが生まれたのは父親がすでに60歳近くの時だったとされ、恵まれた少年時代ではなかったようだ。プッサンの修業時代のことについては史料が乏しく、当時の作品もほとんど残っていないが、10代後半から20代の大部分をルーアンとパリで過ごした。

1624年、29歳の時、プッサンはローマに出ている。 このローマ行きには当時の高名な詩人ジョヴァンニ・バッティスタ・マリーニ(1569-1625)の助力があった。また、ローマでは教皇ウルバヌス8世の甥にあたるフランチェスコ・バルベリーニ枢機卿(1597-1679)や、その秘書で自由思想家であったカッシアーノ・ダル・ポッツォ(1584-1657)の知己を得た。特にポッツォの思想はプッサンの制作に大きな影響を及ぼした。
チモール ジョリティ ジルバ マンボ サーチガム ロズウ いととく ペクトル オフロ スマトラ ネック ショルダ バンジョ キャリア ハマユ タッグ ユーコン JAPAN いちにいさん 天徳 バキュ バンパイア コンヒ ナビミット ツツジ コート おおだま マングース ビーバー ホルダー しょく コチュカル パラペ フレー ビエンナ フリー ライス 王の行進 マイクラ レジス サンセ ドラマ オール ビショ きたひろ ナンプレ クロス マモモ モノク リュート

バルベリーニ枢機卿を通じてフランスに送られた絵画を通じて、プッサンの名声は母国にも広まった。当時のフランス国王ルイ13世はプッサンに親書を送りフランスへ呼び戻すが、プッサンは1640年から1642年にかけての2年足らずのパリ滞在の後、再びローマへ戻ってしまった。

プッサンの活躍した17世紀はバロックの全盛期であるが、彼の作品においてはバロック的な激しい感情や劇的な明暗の表現は抑制されており、代表作『アルカディアの牧人たち』にみられるような、古典主義的で深い思想的背景をもった歴史画や宗教画が多い。また、1648年頃からは英雄的風景、あるいは悲劇的風景と呼ばれる荘重な風景画を、1650年代後半からは寓意的な内容を持った神話的風景を描いている。
ルーヴル美術館にある『アルカディアの牧人たち』(1638-1640頃作)は、楽園アルカディアで、墓石の周囲にたたずむ4人の人物(羊飼い)を表している。墓石にはラテン語で「エト・イン・アルカディア・エゴ」Et in Arcadia ego という銘があり、画中の人物たちはこの銘文の意味を知ってとまどっているように見える。「エト・イン・アルカディア・エゴ」は、「私もかつてアルカディアにいた」「私はアルカディアにもいる」の2つの意味に解釈可能だが、「私」を「死」の意味に解し「楽園アルカディアにも死は存在する」と解釈するのが妥当とされている。いわば「死を忘るべからず」「死はどこにでも存在する」という教訓を絵画化したものといえる。

この絵は20世紀末から21世紀初頭にかけて世界中を揺るがしたミステリー「ダ・ヴィンチ・コード」のモチーフとなったレンヌ・ル・シャトーを巡る謎にも、アイテムの一つとして登場している。

ゲルマニクスの死(1626-28年)(ミネアポリス美術館)
聖エラスムスの殉教(1629年)(ヴァティカン美術館)
フローラの王国(1631年)(ドレスデン美術館)
アシドトのペスト(1631年)(ルーヴル美術館)
パンの勝利(1636年)(ロンドン、ナショナル・ギャラリー)
マナの収集(1637-39年)(ルーヴル美術館)
アルカディアの牧人たち(1638-1640年頃)(ルーヴル美術館)
鹿児島で少女を蘇らす聖フランシスコ・ザビエル(1641年)(ルーヴル美術館)
七つの秘蹟(1644-48年)(スコットランド国立美術館に寄託)
階段の聖母(1648年)(クリーヴランド美術館)
エリエゼルとリベカ(1648年)(ルーヴル美術館)
ソロモンの審判(1649年)(ルーヴル美術館)
自画像(1650年)(ルーヴル美術館)
オルフェウスとエウリュディケのいる風景(1649-51年頃)(ルーヴル美術館)
ピュラモスとティスベのいる風景(1651年)(フランクフルト、シュテーデル研究所)
コリオラヌス(1650-55年頃)(レ・ザンドリー、ニコラ・プッサン美術館)
サフィラの死(1652年頃)(ルーヴル美術館)
エウダミダスの遺書(1650-55年頃)(コペンハーゲン国立美術館)
バッカスの誕生(1657年)(フォッグ美術館)
四季(1660-64年)(ルーヴル美術館)